阿部喜千代功績
大正鉄筋コンクリート㈱の創業者である阿部喜千代は、公立名古屋工業大学土木部を大正3年に卒業し、現在の韓国ソウル、当時の朝鮮総督府土木係京城出張所に公務員として従事しておりました。
その翌年、東洋コンプレッソル㈱(ペデスタル基礎、コンプレッソルパイル、RC造煙突の専門業者として、日本の杭工事業と煙突業に多大な影響を与えた企業)からを採用したいという打診を受け、田中遜社長と高西技師長に面会し入社をしました。
採用後は、小倉営業所に配属、北九州黒崎市八幡製鐵工場の建設工事の担当となり、煙突の設計や現場管理の職に従事し、この経験が煙突業に入るきっかけとなりました。同社を大正8年頃に退社しました。
その後、名古屋コンクリート工業所へ入社。
昼間は会社に勤務、夜は高等高校の講師を3年程務めた後、同社を退社しました。
大正12年3月に大正鉄筋コンクリート工業所を名古屋で設立し、その7年後に大正鉄筋コンクリート株式会社を立ち上げました。
沿革
明治27年1月5日 | 新潟県長岡市宮路に生まれ、大正7年3月旧制名古屋高等工業学校土木科卒業、同年4月東洋コンプレッソル株式会社に入社、主に鉄筋コンクリート特殊工事の設計に従事する。 |
大正12年3月 | 名古屋市において大正鉄筋コンクリート工業所を創立し、その代表者となる。 |
大正12年4月 | 3年間母校の旧制名古屋高等工業学校にて「鉄筋コンクリート工学」の講師をする。 |
昭和5年3月 | 組織を変更し大正鉄筋コンクリート株式会社とし取締役社長となる。 |
海外視察 | ・ロシアを含む西欧七ヶ国(ダム協会主催) ・カナダ、アメリカ、ハワイ ・香港、タイ、インド、マレーシア、シンガポール、フィリピン、台湾 |
昭和52年当時 喜千代考案特許一覧(全て現在は消滅) | 鉄筋コンクリートの煙突、水槽、サイロなど円型の特殊コンクリート工事の設計、施工を請負、北は樺太から南は台湾、海南島、平壌、中国東北3省 、華北、青島、上海に及び戦後はバングラデシュ、マカオ、インドネシアにまで進出しその数1万2千基以上を築造した。40m以上の中規模工業用煙突については国内の70%以上を築造し、所謂超高煙突については独占的地歩を占めた。(昭和52年当時) |
●煙突の構築法及研究開発
1.吐出スピードアップによる拡散(ステンレス鋼ノズルの設置)
1.吐出スピードアップによる拡散(ステンレス鋼ノズルの設置)
昭和30年代に入り燃料が石炭より重油に転換し燃料の革命期に入り、これに付随し亜硫酸ガス等排気ガスによる煙突の内部、頂部腐蝕による損壊及工場隣接地域の大気汚染問題が生じその対策は工場の重要問題となったが、喜千代は昭和34年進んでアメリカのジョージア州火力発電所の煙突、ミズーリ州火力発電所の煙突等海外の事例を調査見学した。
その資料に基づき改良を加えた結果腐蝕防止及拡散の目的として昭和36年日本で初めて東北電力株式会社新潟火力発電所の90m煙突築造の際その頂部にステンレス鋼製のノズルを設計設置し吐出ガスのスピードを高速化する事により排気ガスを煙突より更に相当高度に吹き上げ従来に比し広範囲に拡散させる事が出来ると共に腐蝕防止を図る事が出来た。
以来80m以上の高度煙突には殆どステンレス鋼によるノズルを設置し工場と地元住民との排気ガスによる紛争解決及び緩和に一助の貢献をした。
また煙突の付属金具、吊梯子、廻廊手摺、プロテクター等の排気ガスによる腐蝕防止の為従来の普通鋼をステンレスに転換を積極的に実施し労働安全対策に努めた。
2.超高煙突の構造安全設計の確立
前記ノズルによる拡散方法と平行的に排気対策として煙突は100m以上150m、更に可能な限り高さを上昇する要望が増えてきた。
超高煙突には耐震設計その他安全対策として諸々の未解決の問題が相当残されて居り、その解決の為喜千代は東京工業大学加藤六美教授の指導主宰の下に昭和43年11月20日「RCS研究会」を設立事務局の役割を担当した。
第一回会合(昭和43年12月10日)
第一回会合(昭和43年12月10日)
委員長:加藤六美教授 委員:小林啓美教授以下8名
研究テーマ「RC超高煙突の動向、土質、その他凡ゆる面より構造上の安全を解明し、同時に築造工事費の経済性の限度を探究する」を決定した。
以後毎月1回委員会を開催し、一年間にわたり研究発表、討論を行い超高煙突の構造上の安全性を解明した。
即ち電算機による地震応答解析を行い地震波最大加速度200ガル、一次固有周期に対する減衰定数を0.02として求めた数種(エルセントロ、タフト)の弾性応答解析結果の平均値に対して、1950年制定された建築基準法による水平震度0.3によって求められた曲げモーメントはすべての高さにおいて小さいとの結果を得た。
よって従来の震度法によらない安全性を基に設計基準を確立し下記の日本のおいては最初の超高煙突を設計施工した。
昭和46年 | 徳山曹達株式会社 155m 1基煙突 |
東洋曹達株式会社 150m 1基煙突 | |
昭和47年 | 株式会社神戸製鋼所 150m 1基煙突 |
株式会社神戸製鋼所 170m 2基煙突 |
3.ライニング材の研究
大気汚染対策として排気ガスのSOx、NOx等の総量規制の実施により燃焼の際脱硫、脱硝装置の設置と共に排出ガスの酸露点による煙突のライニング材の改良の必要が生じこの選定が重要の課題となった。
喜千代は軽石の特性(軽量、断熱、耐酸)に注目し伊豆の新島で天然石を採集していることを聞き自ら現地を見学し煙突のライニングに充分使用出来ると確信、その表面をセラミックス加工する事によって、より耐水性を持たせる事に着目ライニング材の解決を続けていた。
4.煙突の二重構造(内筒式)
前記の露点対策として煙突の二重構造を採用し、外筒をコンクリート製、内筒をスチール製とし内筒を保温し排ガスの温度ドロップを防止、露点温度以上で吐出させ露点酸腐蝕防止の設計を採用し又他社設計のものに積極的に協力し下記の煙突を施工した。
- 三井アルミ株式会社 130m
- 横浜市港北清掃工場 100m
- 横浜市南戸塚清掃工場 100m
- 住軽アルミ株式会社酒田工場 100m
- 北海道電力株式会社砂川火力発電所 105m
- 宇部製鋼株式会社 102m
- 横浜市新保土ヶ谷清掃工場 100m
4.実用的施工方法の改良
昭和52年頃アメリカ、ドイツ等の各国において煙突施工方法に機械的な滑動方法がとられるが、どれも特許料の高価と機械力の複雑さ特許技術者の常置等で採算的に問題があるので喜千代は多年研究の結果現場労務者にて実施可能な採算的に合う工法を案出し特許申請すると共に築造の単一な機械化より工期の短縮、安全施工の完全等を図った。
- RC構造超高煙突ステージアップ工法
- RC構造煙突の築造方法の比較
各種円型サイロ築造における改良
1.セメントサイロ
セメントを工場より需要地にサイロを設け直接消費者に安価に供給する必要がある。
そのためには陸上及び特に海上タンカーによるバラ輸送、エアースライドによる荷役、完全施工による湿気防止等特に設計上格別の注意が必要であり更にサイロを大型化することにより貯蔵量1t当りの建設コスト及び流通コストの軽減を図ってきた。
全国各地港湾にセメント各社のサイロを約200基築造した。
特に1基当たりの容量としては小野田セメント株式会社東京工場セメントサイロ30,000tを設計施工した。
従ってサイロの大型化に対処するため同サイロに「土圧計、温度計、鉄筋引張計」を設置し各応力のデータを集計今後のサイロの構造計算の資料を確立するよう研究をし続けた。
2.飼料サイロ、小麦サイロ
畜産の発達と共に飼料の需要、急増により飼料は殆ど輸入のコーンに依存する時代となり喜千代はスチール製サイロよりも断熱性、気密性のあるコンクリートサイロに着目しその輸送、貯蔵、殺虫、殺菌等に最適な大型コンクリートサイロを設計し海上輸送より直接サイロにエアースライドにより荷役、また完全燻蒸による殺虫等流通コストの低減を図るのに一助の貢献をした。
[昭和36年]
- 豊橋飼料株式会社千葉工場 500tサイロ6基
- 日本製粉株式会社名古屋工場 450tサイロ12基
3.籾米サイロ
米の貯蔵には生産過剰、倉庫不足の対策として防虫、腐敗防止及び流通コスト軽減のため荏原製作所と協力、下記穀倉地方に政府補助金による農業協同組合の倉庫を建設した。
- 岩手 稲瀬農業協同組合 2,000tサイロ
- 長野 あづみ農業協同組合 2,000tサイロ
- 滋賀 近江八幡農業協同組合 2,000tサイロ
以上により半農作地区の倉庫不足及び在来の建家倉庫による長期貯蔵上の欠陥の
是正に務めた。
喜千代考案特許一覧(全て現在は消滅)
昭和50年8月18日 | 滑動方式によるコンクリート煙突型枠装置 |
昭和52年4月19日 | 型枠滑動方式によるコンクリート煙突その他円筒型構築物の建造装置 |
昭和52年4月6日 | 二重筒式鉄筋コンクリート煙突に於ける空隙保持用セパレーター |